奥さん、ここがサブカル地獄ですよ。

別れる前にお金を頂戴。

【映画感想】夜間もやってる保育園(2017)

奥さん、もう11月だよ。

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監督は『ただいま それぞれの居場所』(2010)、『石川文洋を旅する』(2014)などの大宮浩一。



認可されている夜間保育は全国に80ヶ所。

全国に25000ほどある保育園の0.3%。

2500人ほどの子ども達が保育されている。

ベビーホテルと呼ばれる無認可の夜間保育園が1749ヶ所。

保育されている子どもは33000人ほど。

(以上、芹沢俊介氏のパンフレット記述より)



僕は独身30代ワーキングプア男(笑)、今までに子どもを産んだことも、子どもを育てたこともない。

そんな僕が何故『夜間もやってる保育園』なのか。

最初に少しだけ。


夜の世界は少し美しい。

ニコラウス・ゲイハルター監督『眠れぬ夜の仕事図鑑』(2011)は、夜間も働くヨーロッパの人々を淡々と、しかし生々しく、そして美しく撮った僕の大好きな映画です。

しかし遠く離れたヨーロッパではなく、もちろんこの日本にも、夜働く人たちがいる。

各種飲食店従業員、ホストに風俗嬢、芸能関係者、タクシーやトラックの運転手、コンビニやファミレスのアルバイト、夜勤の医者・看護師・介護士、残業するサラリーマン・公務員etc…

そんな夜の世界に生きる人々に、僕はずっと前から興味がある。

すっかり昼型の生活に慣れてしまった僕も、20代の頃は完全夜型生活だった。

イベントスペースやクラブ仕事の休憩時間、外の空気を吸いに出ると、同じビルのキャバクラの女の子たちがお客さんをお見送りしていて、時折挨拶を交わした。

イベントをこなした後、共演者やスタッフと飯を食いに行くと同じく仕事を終えた人たち、早朝まで元気に働く飲食店の人たち。

始発電車の同じ車両には同業者、キャバ嬢や風俗嬢、一晩会社で過ごしたサラリーマン、朝陽に照らされる車内はとても静かだった。

僕にとっての“夜の世界”は現実そのものであり、昼の世界よりほんの少し美しいとずっと感じてきた。

だからこそ、この映画にも興味を感じたと言っていいと思う。



映画『夜間もやってる保育園』は夜間保育の現場を撮影することで、まず“夜の世界”の人々、その人生を浮かび上がらせる。

メインの舞台となる東京新宿区大久保「エイビイシイ保育園」園長の片野清美さん。

この映画は片野清美さんが大宮監督に送った一通の手紙から始まっているという。


その関連施設・学童保育「風の子クラブ」、さらに沖縄県那覇市「玉の子夜間保育園」、北海道帯広市「すいせい保育園」など各保育園で働く保育士さん達。

24時間体制の夜間保育園の姿を通じて、児童保育の大変さ、夜間保育ならではの苦労とやりがいなどが描かれる。

「場合によっては、おはようからおやすみまで一緒にいてあげられる」複雑そうながらも嬉しそうに話す保育士さんの姿が印象的だ。


そこに通う子どもたち、その保護者の人々。

厚労省勤めで退勤の遅いお母さん、ダブルワークで飲食店経営するタイ人のお父さん、飲食店経営の夫婦、バー経営のシングルマザー、などなど状況はそれぞれ。

望んで“夜の世界”に身をおく人、止むを得ず夜間保育を利用している人、悩みも苦労もまたそれぞれ。

寝たままの子どもを乗せ、時折ふらつきながらも自転車で夜の街を走っていくタイ人のお父さんが幸せそうだった。


茨城県石岡市「魚住農園」は「エイビイシイ保育園」と長年付き合いがあり、有機野菜を園に提供している。

新潟県新潟市「エンジェル児童療育教室」での研修では“多動”(ADHD)と呼ばれる子どもたちの療育について。

夜間保育を取り巻く様々な仕事、そして現代日本における保育の問題提起。


個人的に最もショッキングだったのは、ベビーホテルでの取材。

僕が生まれるより前の昭和の時代、ベビーホテルの劣悪な保育環境が社会問題になったことがあったという。

それを受けて昭和56年、認可を受けた夜間保育園が始まったのだと。

しかしこの記事の冒頭で転載した通り、現在も夜間保育園のほとんどが無認可のベビーホテルなんだそう。

新宿区のベビーホテル「たいよう保育園」の木村正章副園長は「昼夜働くシングルマザーが、子どもを預けられるのがベビーホテルしかない」と現状を語る。

「仕事何してるの?となってキャバ嬢だと答えると、保育園を落とされてしまう」とも。

さらに木村副園長は「一時保育で預かった子を、母親が迎えに来なかった」児童相談所に引き取られていった赤ちゃんを見送った経験を、辛そうに話していた。

なんとも腹立たしく、悲しい話だと僕は思った。

(誤解のないように書いておくと、映画で見る限りこの「たいよう保育園」は他の認可夜間保育園と環境的な違いは特に無く小綺麗で、劣悪だとは思わなかった。)


この様に夜間保育園に様々な形で関係する人々を、様々な角度で映画は描いていく。

悩みも苦労も喜びも笑いも、時には後悔、時には再会、悲喜交々だ。

しかし園長も保護者も保育士さんたちも他の関係者も、皆んなが口にする言葉がある。


「子どものため」であると。


現代日本では、未だに「子どもと少しでも長くいなければダメ」「子どもを夜預けたままなんて親失格だ」という考えが蔓延している。

そんな悩みを抱えていたお母さんは、保育士さんの「時間じゃなくて質だよ」との言葉に救われたと話します。

そして「エイビイシイ保育園」では、夜勤で疲れたお母さんお父さんに「迎えに来るのはちょっと寝てからでいいよ」と伝える場面があります。

僕なんか知りもしませんでしたが、仕事を終えたらすぐに迎えに来いと、時間などに厳しい保育園も多いそうで……。

しかしお母さんお父さんが元気な方が、子どもだって嬉しい。

1人で悩み苦しむお母さんに「お母さんがんばってるね!」と保育士さんたちは声をかける。

保護者のためではなく子どものために、お父さんお母さんと園との温かなコミュニケーションが映し撮られているのです。


お父さんお母さんが子どものことが大好きな気持ち、子どもたちがお父さんお母さんが大好きな気持ち、そしてそこに寄り添う保育士さんら園スタッフの気持ち。

夜間に限らず保育で最も大切なものが、この映画には溢れ返っています。

何しろ子どもたちの可愛いこと(笑)。

映画を見始めた最初の僕は「大変な仕事だ…」「小さな怪獣がこんなに…」と慄いて(笑)いました。

しかしこの映画は辛く悩ましい夜間保育の現場を偏ることなく撮影し、“愛情”と“未来”を僕にも伝えてくれました。

僕らの“未来”が描かれた、この映画のラストを是非劇場で確かめて頂けたらと思います。




しかし今年は面白いドキュメント映画が本当に多いですね。

僕が観た今池シネマテークさんでも、まだまだ面白そうなドキュメンタリーが年末まで上映予定みたいです。

次もドキュメントを取り上げるかは分かりませんが、とりあえず3ヶ月も空かないように

気をつけます(笑)。





奥さん、映画では井塔由梨さんが歌ってるよ!

見上げてごらん夜の星を

見上げてごらん夜の星を



【映画感想】HiGH&LOW THE MOVIE 2/END OF SKY(2017)

奥さん、だから俺たちは誰よりも高く飛ぶ!

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ドラマ、漫画、音楽などメディアを問わず展開するエンタテインメントシリーズ『HiGH&LOW』の映画第3弾。

監督はHiGH&LOWシリーズ総監督を務める久保茂昭



あらすじ

かつて「ムゲン」という伝説のチームがこの地域一帯を支配していた。

その圧倒的な勢力により、かえってその一帯は統率が取れていた。


以下略




やってきました!HiGH&LOW!みんな待ってたHiGH&LOW!あなたと私のHiGH&LOW!世界に羽ばたけHiGH&LOW!EXILE喧嘩祭り!SWORDの祭りは達磨通せや!右京については聞くな!てめえら後悔するぞ!テレンテテンテテンテンテンテーン!立木文彦!ありがとう立木文彦!かえって統率!STOP映画泥棒!RUDEのパルクール!かっけー!けど玉ヒュン!出番少ないね藤井夏恋空ばかり見てるね窪田正孝!俺たちは誰よりも高く飛ぶ!関ちゃん今日もイキッてるね!山田くん!騎馬戦ってそういうんじゃねえから!コブラちゃんに一票!でも悩めるコブラ!悩めるテッツ!可愛いナオミ!おいてめえ俺の藤井萩花に何してくれてんだヤマト!お前そこそこ強いんだなノボル!落ち着いてダンさん!1シーンだけかよ苺美瑠狂!世界名作劇場!今回は主役だねROCKY!やったねROCKY!自分の力で立ち上がれROCKY!所々ヘロヘロだけど大丈夫かROCKY!非番なのにお疲れ様KOO!パーリタァイ!金爆はキリショーのスケジュール抑えられなかったのかな!ルシファー!吐き気がするまで愛してくれ!お兄ちゃんを信じなさい!九十九さんまた轢かれた!USB!USB!USB!USB!怖え!ターミネーター源治怖え!こんなヤクザいねえ!悪者みんな刃物好きな!出たぜ九龍!眼が座ってるね中村達也!それはギャグだね高嶋政宏!流石の演技力だね岸谷五朗津川雅彦岩城滉一笹野高史!木下ほうか!加藤雅也!悪の大幹部だよ!全員集合!大ショッカー!劉はお前MIGHTY裏切ったわけじゃねえのかよ!仲良しか!アレだね!アイスはもうヴィン・ディーゼルだね!再起動だね!ICE BREAKだね!アイスだけに!MIGHTY WARRIORS!手をあげてくだサァーイ!FUNK JUNGLE!ANARCHYのラップかっこいい!セイラのアクションかっこいい!ハーフ率高え!なんだこの映画!そしてプリズンギャング!新キャラ!ジェシー!チャラい!フォー!気は優しくて力持ち!オーバーオール!樵かよ!さらにダウト!蘭丸クソ野郎だ!高野!平井!お前らも強かったんだね!キャラ立って良かったね!って達磨!何それ!アメ車スキー!達磨ハネムーン!ごろごろごろごろ!無茶か!SWORD協定じゃあああああ!行くぞてめえらあああああ!パーリタァイ!楽しそうだな日向!楽しそうだな村山!かっこいいな岩ちゃん!まだ空見てんのかな窪田正孝!満身創痍だなROCKY!負けるわけがねえ!蘭丸ヘタレたー!やったー!勝ったー!善信怖えー!エンドロール!撃たれたー!相変わらずか!重要なシーンじゃねえのかよ!まあいいや!あー楽しかった!ところでEND OF SKYって何!わかんない!



最後に




(その髪型)どうしちまったんだよ琥珀さん!!!




奥さん、まず一作目観てネ。







【映画感想】暗黒女子(2017)

奥さん、2ヶ月ぶりですよ。

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原作は秋吉理香子の同名ミステリー小説。

監督は『百瀬、こっちを向いて。』(2014)、『MARS〜ただ、君を愛してる〜』(2016)の耶雲哉治。



原作は所謂“イヤミス”の傑作と言われているそうですね。

イヤミス”ってのは「イヤな気分になるミステリー」の略だそうですが……



嫌だよ!!イヤな気分になりたくないよ!!!



と全力で思ってるタイプの人間なんですよ、僕は(笑)。

え……いや、ホントだってば、ハートウォーミングが好きなんだってば……(笑)。


しかしじゃあ何故この映画を観に行ったのかと申しますと、今年2月のこちらの記事

【読書感想】全部、言っちゃうね。千眼美子

http://frenzyarima.hatenablog.jp/entry/2017/02/26/170617

で取り上げました、芸能界引退&出家された清水富美加さん(現:千眼美子さん)の出演作品ということで。

この記事で書きました、《俳優ご本人の倫理観と作品の倫理観に乖離がある場合に、精神に不調をきたす》、その精神に不調をきたした作品って……コレなんじゃ??と。

書店のプロモーションで流してる映像を見てピンときまして。

勿論、推測ですが。

というわけで、劇場に足を運んだ次第です。



あ、ちなみに今回はネタバレは少なめにしようと思います。

興行収入も大評判ってわけでもなかったので、興味を持って貰えたら是非観てみてください。



前置きを終えまして。

結論から申しますとこの映画、結構面白いですよ!

元の期待値が低かったとこもあるのですが。

(前述通り、昨今日本映画で定期的に作られる“人間の欺き合いモノ”が個人的に嫌いなので。)

しかし、その期待値の低さを逆手に取ってくる脚本!!演出!!演技!!これが本当に素晴らしい。


あらすじ

聖母マリア女子高等学院、学院経営者の娘であり、全校生徒が憧れる白石いつみ(飯豊まりえ)が謎の死を遂げる。彼女が主宰していた文学サークルの誰かが彼女を殺したと噂が流れる中、文学サークル副会長の澄川小百合(清水富美加)は会長職を引き継ぎ、部員が自作を朗読する定例会を開催。「いつみの死」をテーマとした自作を朗読し、部員たちは各々が各々を犯人だと告発していく。


登場人物は

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白石いつみ(飯豊まりえ

会長。憧れの的。物語開始時、既に死亡。

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澄川小百合(清水富美加

副会長。物腰穏やか。いつみの親友。

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高岡志夜(清野菜名

女子高生作家としてプロデビュー済み。

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小南あかね(小島梨里杏

お菓子作りが大好き。ロリっぽい。

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ディアナ・デチェヴァ(玉城ティナ

ブルガリア人。貞子のビデオを見てしまう(嘘)。

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二谷美礼(平祐奈

特待生。校則で禁止されているが、バイト暮らし。


の6人。ほぼこの6人だけで話は進みます。

一応顧問の先生役で千葉雄大さん、いつみの父親役で升毅さんも少し話しに絡みますが。


皆さんどうです?

あらすじや登場人物を見ただけで「いかにも〜苦笑」って思いません?

これがもう、映画始まって流れるゴシック調?の音楽まで含めて、いかにも〜!の連続。

登場人物の類型的なキャラクターや、それに付随して女の子たちの演技も……いかにも〜!

お嬢様学校ステレオイメージヤバいな!!

正直「マジか〜……このノリで105分か〜……」と眉間に皺を寄せていました(笑)。


しかし


この、いかにも類型的なノリで始まるのが、後々本当〜〜〜に効いてくるんです。

文字通り、彼女たちは“演じている”ことがわかってくると……。

さらに順番に自作の小説を朗読していくというアイデアも素晴らしい。

途中フィクションラインが明らかに違う人がいたり、キャラクターの設定の割にこの内容は……と思っていると、後々ハッとさせられる!

勿論これは原作(買ったけどまだ読んでない…)の良さを脚本が引き継いでいるのだとは思いますが。

ある種「アイドル映画だからな〜」「そんなに予算かかってないしな〜」「邦画だからな〜」とナメてる人ほどショックがデカいと思います。


そう言う意味でもう1つ触れておきたいのは6人の演技力ですね。

生憎清水富美加さん以外では『貞子VS伽椰子』に出てた玉城ティナさんしか存じ上げませんでしたが。

アイドル映画的な可愛らしさは勿論保証できますけど、この映画は途中から彼女たちの造形がグッとリアルに、グッと“女子高生”になります。

特に感心したのは飯豊まりえさんのあるシーンで見せる表情と言い方(笑)。

あと平祐奈さんの、体当たりのあるシーン……あんなことさせて良いんか!!

もっと言えば、数名によるあるシーンの取り乱し演技は白眉です。

若い女の子が恐怖に取り乱す様はホント最高ですね(やめとけ。


ただですね、最後に“イヤミス”らしい?というか、まあイヤ〜なオチが付くんですけど。

そこのとこは実はそんなに……(笑)。

まあ、ね、ほら、『ミスト』とかさ、『ブルーバレンタイン』とかさ、『無垢の祈り』とかさ、そういう、客の精神を殺しにかかってくる映画も観てますんでね……。

ただ、上手い!とは思いましたけどね。

あの、ラストらへんの皆んなのね、楽しげな会話がね、笑顔がね、いや〜女の子って素敵だな〜って(笑)。



というわけで大名作!みたいな映画ではありませんが、2017年とっても楽しい佳作邦画の1つだと思います。

是非観てみてくださいな!!!



奥さん、原作はこちら。

暗黒女子 (双葉文庫)

暗黒女子 (双葉文庫)

【映画感想】人類遺産(2016)

廃墟だよ、奥さん。

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原題:HOMO SAPIENS

監督は『いのちの食べかた』(2005)、『眠れぬ夜の仕事図鑑』(2011)のニコラウス・ゲイハルター。

世界70カ所以上の廃墟を固定カメラで捉え、ナレーション無しBGM無し字幕無し登場人物無し、映像と音のみで構成され、人類が滅んだ後の世界を描くドキュメンタリー。


というわけでございまして。

しばらく間が空いてしまいました。

特に理由はないんですけど、本職の書き物がそれなりにあったのと、新作・旧作問わず観た映画がなかなか記事書くのが難しそうだったりしまして。

例えば精神に深刻なダメージを受けたりとか……『ブルーバレンタイン』てめえの事だよ!!!


さて、ニコラウス・ゲイハルター監督作は『眠れぬ夜の仕事図鑑』が大好きで。

しかも今作は廃墟を撮ったって聞いて、サブカルクソ野郎的にはこれは外せないだろうと。

廃墟とか好きなんですよ。

ちなみに、『いのちの食べかた』は個人的にはイマイチで。

あの、食育としてはどうも恣意的に選ばれた大量生産の現場の撮り方がとても欺瞞だよなあって。

あと、単純に絵面が似たり寄ったりでつまらなかったです(笑)。



そんな『人類遺産』ですが。

結論から申しますと、僕はこの映画が大好きでしてね。

廃墟って、使われなくなってしまった建造物あるいは建造物群のことを指すと思うんですけど。

要するに捨てられてしまった、いらなくなってしまったものなんですね。

近年、特に日本では本作にも登場する軍艦島世界遺産に登録されたこともあり、廃墟を巡る状況もほんの少し変わってきた気もします。

しかしそんな保護を受けられるのは稀なケースで、基本的に廃墟はいつ無くなってもおかしくないものなんです。

昭和の建築物全般が耐震強度の問題や再開発で姿を消す中、廃墟はそもそも使われていない建物なので、消える時はあっという間です。

現に本作に登場する世界中の廃墟のうち、いくつかは撮影後に取り壊されてしまっているそうですし、撮影中に情報を元に現場に行ってみるともう既に無かった(廃墟好きあるある)……なんて切ない状況もあったようです。

だからこそ、世界中の廃墟をこんなにも美しい映像で残してくれた、もうそれだけでこの映画には価値があると思うわけであります。


そして今作は、ゲイハルター監督の前2作(日本公開分)と決定的に違う部分があります。

人物が一切登場せずかつ人間や機械が現場で出す音を一切排除し、代わりに音響コーディネーターにより鳥の鳴き声や虫の羽音が加えられた音響作り。

さらに映像にも照明や加工を足して、廃墟自体がより良く見えるようにされているそうです。

監督本人が「自分はこの映画をドキュメンタリーだとは思っていない」と語る通り、今作は“ありのままの姿”を撮り続けてきた過去作に比べて少しフィクション度が高まっています(勿論ありのままを撮っているかの様に感じられる程度にはナチュラルな作り込みですが)。


今作のテーマを分かりやすく示すものとして「そうして、人類(ホモ・サピエンス)の時代は終わりました。」との煽りがHPなどに記載されています。

ゲイハルター監督は70カ所以上の廃墟を撮ることで人類が滅びた後の世界を表現しており、その世界観を構築するための映像・音響の作り込みなんですね。

僕がこの映画を大好きになった理由は、まさにそこの部分です。

鑑賞中の僕が逐一思っていた事があります。


この世界は人類がいないだけでこんなに美しいのか。


いかにも厭世的な物言いに感じるかもしれませんが(笑)。

僕は観光地なんかに遊びに行っても「ああ……人が多い……人がいない状態でここに来たい……」とよく思ってて。

建築であれ空間であれ、静謐な中でその存在だけを味わいたいのです。

そういう意味でこの映画はまさに夢の様な体験だったと言えるかもしれません。

徹底的に人間の存在が排除された世界は、それが人間の手によって作り出された建築であるにも関わらず、こんなにも美しい。

その美しさに改めて心を打たれました。


この映画の原題“HOMO SAPIENS”は人類を指す学名です。

人類が滅んだ世界を描いた映画に、そのものズバリ人類とタイトルされているのです。

監督のインタビューによれば、解釈は委ねるとしながらも、過去や未来だけでなく現在に対する批判性も、この映画に内包させたかった主旨の発言をしています。

確かに打ち捨てられた建築から過去の営み、滅びた先の未来、そしてそんな過去や未来と繋がっている僕たちの現在が感じられる、素晴らしいタイトルです。

受け手の人生観によって、この映画は過去にも未来にも飛躍し、かつ現在に留まらせる事もできるのです。


そして僕が観た『人類遺産』は素晴らしい未来でした。

人間や機械による喧騒が消え、春夏秋冬が過ぎ行く中、ただあるがままに存在している無数の遺産。

それは人間によって作られた存在が意味を脱ぎ捨てて自然と同質の美しさを獲得した姿です。

不道徳な想像ですが、もしも何らかの事態に自分以外の人類が滅亡したとしたら……。

無数の籠が吊られた炭鉱、神の消えた教会、浜辺のローラーコースター、山頂の巨大ホールまで、僕は喜んで『人類遺産』を闊歩し始めるでしょう。

人類の消えた楽園、その素晴らしさを噛み締めながら。



ドキュメンタリー好きにも、SF好きにもオススメです。

是非ご覧くださいませ。




奥さん、『眠れぬ夜の仕事図鑑』もオススメですぜ。


【映画感想】世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方(2014)

奥さん、ドイツ映画だよ。

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監督は『ツバル』(1999)、『ゲート・トゥ・ヘヴン』(2003)のファイト・ヘルマー。



【あらすじ】

ドイツのど真ん中にあるボラースドルフ。

その村に住む6人の子ども達はアカハナグマのクアッチと一緒にハチャメチャで楽しい日々をおくっていました。

フツーで平凡を美徳とする大人たちは、そんな子どもたちや、彼らと仲良しのちょっと変わった老人たちに手を焼いていました。

ある日そんな村に消費者調査会社“銀色団”がやって来ます。

彼らはフツーで平凡な村人たちをマーケット・リサーチのモニターにしたいと提案、普通で平凡な大人たちは大喜び。

しかし人体実験じみた銀色団のやり方や、モニター村の立場を守ろうとする大人たちの“フツー”の強要に、子どもたち〈ハナグマ・ギャング団〉が立ち上がる!



他に観たい映画があるのに『ラ・ラ・ランド』以外観る気にならない!という病に罹って1週間。

オシャレでハッピーでかわうぃー!な映画で、精神のソフトランディングをしようと観て参りました。

大好きな名演小劇場にて。


そして案の定オシャレでハッピーでかわうぃー映画で良かった!!

てくてくてくてくと仔鴨のように暴れ回る子どもたち!かわうぃー!!

子どもたちを助けながら動き回るハナグマのクアッチ!かわうぃー!!

失敗に落ち込む子どもたちを励まし一緒に楽しい村を作っていく老人たち!ハッピー!!

美術オシャレ!衣装オシャレ!ミュージカルシーンオシャレ!!



一番感心したのは、まるで絵本を読んでいるような脚本・構成でしょうか。

特に終盤、睡眠薬で眠ってしまっていた大人たちが起きてきて、子どもたちと老人たちが作った楽しい“特別な作品”を目の当たりにしていく場面。

6つの作品を順番に見つけていく流れは、劇映画としてはもう少しスマートに見せることもできるのでは?と最初は思いましたが。

しかしあくまで、順番にその“特別な作品”がお披露目されていく構成は、ページをめくり、大きくカラフルな絵を1つずつ見開きで見ていくような絵本の楽しさそのものです。


また、これは好みが分かれる部分かもしれませんが、もっと派手な役割を持たせられなかったのかな?と感じたサブキャラクター達。

マックスのお姉ちゃん、警察官の二名、老人ホーム職員の四名、いずれも一種の敵役です。

彼らは場面場面で登場し、子どもたちに“フツーで平凡”を強要する大人側の人々です。

そんな彼らなんですが、実は子どもたちによって痛い目に遭う場面がほぼ無いのです。

ハチャメチャな子どもたちに逆襲される、言ってしまえば『ホームアローン』的な。

コメディ的にとても美味しい敵役でありながら、彼らにはその見せ場が無いのです。

警察官がパトカーを壊されたくらいでしょうか?(すごく笑った)

これは以前同人で絵本の文を書いた時に思ったのですが、絵本は1ページずつの絵と文の情報量がとても制限された、だからこそ面白い表現方法です。

物語を追う視点も基本的に直線であまり移動はできませんから、サブキャラクターの行動や心情の描きこみには向かない部分があると思います。

敵役たちの役不足な印象は、なるほどやはり“絵本を読んでいるかのような”作りへのこだわりによるものでしょう。

(そういう意味では、わかりやすいスラップスティックコメディを期待すると肩透かしかもしれません。)



もう一つ、メッセージは普遍的で描き方も素晴らしいです。

大人たちはフツーで平凡であろうとする、安定を求めリスクには近寄らない。

しかし子どもたちは自由であります。

パンを空に飛ばしたい。

潜水艦や飛行機に乗りたい。

ゴミを自転車や楽器に変えてみたい。

失敗するリスクなんて気にしないんです。


そしてこの映画の大きな魅力は、失敗した子どもたちを老人たちがサポートすること。

かつて偉業を成した、ちょっと変わった老人たちは純粋で自由な子どもたちの友達です。

子どもたちが行動を起こす決定打になるのも、大好きなおじいちゃん・おばあちゃん達が強制的に老人ホームに入れられてしまったことです。

しかしその後おじいちゃん・おばあちゃんが老人ホームを脱出すると、子どもたちの失敗によって村はメチャクチャ。

子どもたちが描いた設計図を見た6人の老人たちは、協力して皆んながアッと驚くようなものを作ろうと、ションボリする子どもたちを励まします。

この映画の老人たちは子どもたちの友達であると同時に良き師匠でもあるのです。



ちょっと話しはズレますが、昨今のディズニー映画はテーマ性も強く、脚本もキッッッチリ練られています。

大人も子どもも楽しめるエンタメ映画ではあるんですが、一方で工業的・人工的なモノを観ている感じがする人もいるのでは無いでしょうか?

粗がなさ過ぎて可愛げが無いと言うか(笑)。


この『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』は、そういう意味でキッッッチリした映画ではありません。

しかし僕らの人間性を肯定する、優しさ溢れる映画です。

思い出してみて下さい。

フツーだなんてつまらない!

誰もが子どもの頃、胸ときめく設計図を紙に描きとめたのではないでしょうか。

秘密基地を、潜水艦を、飛行機を、機関車を、楽器を、とんでもないマシーンを。


お子さんに楽しい絵本を読み聞かせるように。

また、フツーで平凡なんて望んでなかった子どもの頃を思い出しながら、是非ご覧くださいませ。




奥さん、ハナグマ可愛いよ。




【映画感想】ラ・ラ・ランド(2016)

奥さん、俺的には作品賞だよ!

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原題:LA LA LAND

監督・脚本は『セッション』(2014)のデイミアン・チャゼル。

主演は『ドライヴ』(2011)『ナイスガイズ!』(2016)などのライアン・ゴズリングと、『ゾンビランド』(2009)『マジック・イン・ムーンライト』(2014)などのエマ・ストーン


夢を追う人々が集まる街・ロスアンゼルスを舞台に、愛するジャズの店を開こうとするジャズピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と若き女優志望のミア(エマ・ストーン)が出会い、反発しながらも恋に落ち、互いの夢のために突き進んで行く……といったあらすじ。







注意!

今回の記事にはいつも通りネタバレが含まれている。まだ映画を観ていない者は絶対に見てはならない。いいか。今すぐこのブログを閉じて部屋から出て玄関で靴を履いて車に乗り込み劇場に行き「ラ・ラ・ランドを1枚」と受付に言うんだ。そして観終わった後に、気が向いたら戻ってきてくれ。






ラ・ラ・ランドを観ろ!以上!解散!!






で済ませても良いんですけど……(笑)

こんなに素晴らしい映画を前に、何を語れば良いのでございましょうか。


というわけで、2017年最初にして最大の話題作、ラ・ラ・ランド。

ゴールデングローブ賞で7部門、英国アカデミー賞で5部門、ニューヨーク映画批評家協会作品賞、トロント国際映画祭観客賞などなど受賞、他多数ノミネート。

先日行われた第89回アカデミー賞では、監督賞、主演女優賞、主題歌賞、作曲賞、美術賞、撮影賞の最多6部門を受賞。

さらに前代未聞の作品賞誤発表という、映画本編のある展開を思い起こさせる珍事に巻き込まれた今作。

(シャマラン監督が筋書きを書いたらしいので、まあ仕方ない笑)

まさしく“夢 を み て い た”ってところがまたゾクッとしてしまう。

現実歪んだ?みたいなね。


基本的にこのブログは、いろんな人達に「こんな作品があるんだよ〜暇な時にでも観てみるといいよ〜」とか「この作品覚えてる〜?久しぶりに観てみると面白いよ〜」みたいなスタンスで書いてるんですよ。

でもこのラ・ラ・ランドについては、とにかく僕個人の感情にザックリと刺さってしまって。

そんな軽い感じでオススメ出来ないというか、僕に刺さってしまったポイントを観るより先に教えたら本末転倒というか。

予告を見て「あ、だいたいこんな感じの映画なのね〜ロマンティックで楽しいミュージカル映画〜ステキ〜」って思って劇場に行くとエラい目に遭うという(笑)。

だからもう本当に、そんな感じで、早く皆んなにエラい目に遭って欲しいんだよね。

そういう意味で本当にネタバレは避けた方が良いタイプの映画で。


ちなみに僕はミュージカル映画はほとんど観てないので、オマージュとかそういうポイントについてはパンフレットに書いてありますし、他のもっと詳しい方のブログとかツイートを参考にしてね。

そこを知ってるとさらに味わいが出てくるかも知れないから。


ただ僕はミュージカル映画オマージュは一つも分からなかったし、分からなくっても最高だったので、その辺は気にせずにご覧になると良いとも思うんですけどね。


とここまで書いて、まだ読んでるのはもう観た人だけになりましたかね?(笑)


まず何と言っても音楽です。

アカデミー主題歌賞を受賞した『City of Stars』は勿論、冒頭高速道路のシーンで観客の心を掴む『Another Day of Sun』なんて、楽曲単体でも涙腺を刺激する名スコア。

第二幕の終わりでエマ・ストーンが素晴らしい演技を見せる『Audition (The Fools Who Dream)』なんて、映画の主題を天才的とも思える詞で表現しきっている。

エンドクレジットで流れる『City of Stars (Humming)』は味わい深く、エンドクレジットでまで泣かせに来るなんて……。

他にもエマがルームメイト達と楽しげに歌いだす『Someone In The Crowd』(予告でも流れてましたね)も大好きだし、今作のサウンドトラック盤は2017年必聴の1枚だろう。


撮影賞を受賞しただけあって、ミュージカルシーンの長回しも本当に効果的だ。

鑑賞後にメイキングを見ると「あれマジで一発で撮ってたの!?」と度肝を抜かれる。

派手なシーンだけではなく、前述の『Audition (The Fools Who Dream)』のシーンなど、ある種類型的な静のシーンをあそこまでの見せ場に仕立て上げたのは、エマ・ストーンの演技力だけではないだろう(彼女の演技がウットリするほど素晴らしいのは大前提として、だけど)。


そう、主演二人の演技も冴え渡っていた。

美しい音楽(振り付けも含む)も、効果的な撮影も、エマ・ストーンライアン・ゴズリングの愛おしくなるほどの演技力無しでは全く意味が無かっただろう。

長回しによるミュージカルシーンの掛け合いもさることながら、ライアン・ゴズリングはピアノの猛練習をしてこだわりの強いジャズピアニストになりきっていたし(ジョン・レジェンドの言う通り嫉妬するほどの才能だ)、エマ・ストーンのほんのちょっとした表情の演技こそがこの恋人達の人生を本物だと思わせてくれた。


演技力、さらに音楽や撮影のような一つずつの要素を抜き出して賞賛し出すとキリがない、本当にため息が出るような素晴らしい映画で。

ラ・ラ・ランドを観終わった後、僕はツイッターにこの映画を「アメリカ映画の悦びと、ヨーロッパ映画の味わい深さ」と書いた。

ここまでは個の要素、主にこの映画の“悦び”について書いたわけだけれど、最後にこの映画の“味わい深さ”について書きたい。

(ここから本格的にネタバレになる。)


最初に書いた通り、この映画は宣伝で伝わってくるような甘くロマンティックで楽しいだけの映画では、無い。

劇中出会って心を通わせるも、一年ほどで袂を分かったセバスチャンとミア、そこから時勢は5年後へと飛ぶ。

そこには夢を叶えたミアと、彼女と幸せを共にする家族が登場する。

子どもとじゃれ合うミアの隣にいる伴侶は、セバスチャンでは無い。

冒頭のミュージカルシーン(セバスチャンとミアが出会うシーンだ)で登場した高速道路の渋滞に巻き込まれ、ミアと夫は予定を変更して街で食事をすることにする。

手を組んで歩く二人は、街中で音楽の漏れ聞こえてくるレストランへと入っていく。

するとそこには、恋人時代にミアがセバスチャンに提案した店名とデザインそのままの看板が。

まさかと思いながらも夫に促され店内の席につくミアの前に、演奏していたジャズバンドのメンバーをステージ上で紹介するセバスチャンが現れる。

彼女と別れたセバスチャンもまた、自分のジャズの店を持つという夢を叶えていたのだ。

ミアの視線に気付いたセバスチャンは、おずおずとピアノの前に座り、思い出の曲を弾き始める……。


ここから最後のミュージカルパートへと映画は移行する。

ミアがセバスチャンに声をかけたシーンから始まるそのパートは、映画冒頭から観てきた現実とは少し違っている。

声をかけたミアを無視して立ち去っていたセバスチャンは、彼女を抱きしめてキスをする。

ガラガラで落ち込んだミアの単独舞台は大入り満員、そこにはセバスチャンの姿もある。

袂を分かつキッカケとなったバンドへの参加をセバスチャンは見送り、成功していくミアと幸せな日々を送る。

ありとあらゆるシーンが“こうであって欲しかった”シーンへと書き換えられていく。

しかし、ミュージカルパートの“夢”は終わり、現実へと観客は立ち返る。

セバスチャンは1人でピアノを弾き終え、ミアは夫と共に店を出ようとする。

ミアは立ち止まり、ステージ上のセバスチャンを見やる。

最後に視線を交わした二人は、ほんの少し微笑み合って、この映画は終わりを迎える。


おいいいいいいいいいいいいい!!

なんでだよおおおおおおおおお!!

三幕が始まると徐々にミアとセバスチャンは恋人同士には戻らなかった(戻れなかった)ことが分かってきて、もうその時点で嘘でしょ!?この後二人はまた結ばれるんだよね!?と目の前の現実が受け入れられなくなるわけだ(笑)。

その後始まるミュージカルパートは、そんな観客の心に応えるように美しく楽しくロマンティックそのもの。

しかしそんな“夢”も終わり、映画自体も終わってしまう、なんとも切ない終幕となる。


最初観た時僕は、この“夢”はセバスチャンのものだと思った。

自分が男性だからセバスチャン側に感情移入していたためもあるだろうし、夢を叶えたものの1人でいるセバスチャンが知らない誰かと幸せになったミアと再会したことで、しまい込んでいた、手に入れることのできなかったもう一つの“夢”が溢れてしまう……なんて哀しいんだ。


しかしネットの評で見かけた中に違う解釈があった。

“夢”はミアの“夢”なのだ、と。

夢を叶え、夫と子どもに囲まれて幸せそうに過ごしているミアがセバスチャンと再会したことにより、こうであって欲しかった“夢”を見るシーンなのだと。

そう考えると確かに“夢”の中で、途中から現実の夫との思い出が、まんまセバスチャンに置き換わっていることにも納得できるし、出会いのシーンが書き換えられていることも合点が行く(彼女はあの時すでに恋していたのかも知れない)。

でもそうだとしたらソレはソレで、なんて切ないんだろう。

夢を叶え幸せを手にしたと、少なくともそう見える彼女の本当の願い、本当の“夢”は……書いているだけで泣けてきてしまう。


キャッチコピーの“夢を見ていた”も、映画を観終わってみると全く違う味わいがある。

そう、この映画は“夢”をめぐる物語だ。

現在進行形で夢を見ている人。

かつて、夢を見ていた人。

個人的には、今、夢に迷ったり夢に傷付いている人にこの映画を観て欲しい。

僕はこの映画に勇気を貰った。

かつて夢を分かち合った恋人と再会した時、微笑み合える自分でいたいと思った。

描いた二人の幸せは手に入らなかったけれど、それでも互いに先に進んでいく、そんな姿に憧れを感じた。

描いた“夢”と手に入れた“夢”は違うものかも知れない。

それでも、寂しくてもそれを肯定する微笑みだったと思う。

切なくても、この映画は“味わい深く”、しっかりとハッピーエンドだ。


最後の最後にさらにもう一つ書き加えておくなら、“夢”はもしかしたら“夢”ではないのかも知れない。

パンフレット掲載の町山智浩氏のコラムで引用されるインタビューによると「ただの夢じゃない」と監督は言うのだ。

監督は1927年の映画『第七天国』を例に挙げ、「本当に深い感情は時空も現実も物理法則も超える」ミュージカルも「気持ちが心にあふれた時、天国から90人編成のオーケストラが降りてきて演奏してくれるんだ。」と語る。

そう考えるならあの“夢”は現実だ。

微笑み合って別れた二人も、一緒に幸せになった二人も、どちらも現実なんだろう。



デイミアン・チャゼル、なんて映画を作ったんだ。



奥さん、聴いて。

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,ジャスティン・ハーウィッツ feat.エマ・ストーン,ジャスティン・ポール,ジャスティン・ハーウィッツ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2017/02/17
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る

【読書感想】全部、言っちゃうね。 千眼美子

奥さん、旬な話題だよ。

f:id:frenzyarima:20170226170403j:plain

全部、言っちゃうね。

本名・清水富美加、今日、出家しまする。

千眼美子 幸福の科学出版


人気若手女優・清水富美加の事実上の芸能界引退、幸福の科学出家宣言から早2週間あまり。

この書籍は2月の11日から14日にかけて、医師の立会いのもとで行われたインタビューを編集したものということで、2月17日に出版されたものです。

また、出家されたことでお名前も千眼美子さんと変わっております。



買ったよ!読んだよ!



最初に申し上げておきますと、僕は清水富美加さんのことをほとんど存じ上げません。

仮面ライダー』も『リアル鬼ごっこ』も『変態仮面』も『まれ』も観てないんですよ。

彼女への思い入れはほぼ無いと言っていいです。

完全なる野次馬であります。

しかし僕自身が芸能に端っこの方で携わる立場でもあり、また個人的に新興宗教ウォッチングも好きな方なので、試しに買って読んでみたわけです。

ただ、実際読んでみて少し思うところもあり、慣れぬ書評を書いてみようかと思った次第です。

もう一つ申し上げておきますが、僕は宗教法人幸福の科学及び株式会社レプロエンタテインメントとは一切関係はありません(笑)。

信者でもありませんし、利害関係もありませんのでよろしくお願いします。

また、清水富美加さんのファンの方や、このタイミングで出版に至った経緯についてなど、ライターのガイガン山崎さんがブログに素晴らしい記事を書かれていますので、良ければチェックされると良いと思います。

http://d.hatena.ne.jp/gigan_yamazaki/20170218/1487428347


前置きを終えまして。

まずこの本は“緊急告白”のコピーが示す通り、有名人による告白本の一つであります。

内容としては、芸能界に入るまでの半生、芸能界で仕事をしてきて感じたこと、そしてご自身と幸福の科学の関わり、最後にこれからの目標などが書かれています。

しかしこの『全部、言っちゃうね。』、実はあまり衝撃的な告白は無いんですよ。


まず宗教関係のことについては、この本が出版される前に諸々報道されていたこともあり、特に驚くようなことはありません。

幼少の思い出や芸能界に入るまでの経緯なども、宗教絡みの部分を除くと、普通のタレントエッセイ本とそう変わらない印象です。

一部話題となった某バンドマンとの倫ならぬ恋もファンの方はご存知だったという話しですし、あとはせいぜい喫煙者だったことくらいでしょうか(どちらもアッケラカンと1行でサラッと書かれてたのが笑えました)。


で、芸能のお仕事をされていて辛かったこと、死んでしまいたいと思いながらお仕事をされていたこと、そしてそこから出家を決意されるまでの流れ、この辺りが一つの見どころになって来るわけですが。

アイドル的な活動に対する嫌悪感、本意で無い仕事をさせられて辛かったなど、どうもネットを見てるとそう言った部分が注目されてしまいがちです。

しかしこの本を通して読む限り、そこの部分は実はそんなに重要では無いです(ファンの方はショックを受けられたかも知れませんが)。


僕が興味深く感じたのは、女優のお仕事について書かれている部分です。

ネタバレになるような書き方は避けますが、彼女は役に入り込むあまり、役柄や作品世界に精神が引っ張られてしまい、不調を来すようになってしまったと読める箇所があります。

これは表現者、特に女優(俳優)さんや歌い手(音楽アーティスト)さんにはよく見られる状態です。

ハリウッド映画なんかでも、強烈な役柄を演じた俳優が奇行に走るような話しがたまに聞かれますよね。

(消費する側でも、作品に強烈な刺激を受けるとその世界観から抜け出せなくなることがあると思います。)

彼女はご家族の方が幸福の科学の信者で(所謂二世)、幼い頃からある種の高い倫理観の中で純粋に育ったことがこの本からは読み取れます。

高い倫理観と同時に、もしかしたら生来の努力家だったのかも知れません。

純粋で役に入り込みすぎてしまう、または作品世界に没入しすぎてしまうというのは、場合によってはとてもしんどいものです。

特に若い頃は良くも悪くも生きている世界が狭いので、自身の高い倫理観とそぐわない世界に深く入り込み続けると、自己嫌悪を引き起こすこともあると思います。

しかもその倫理観がしっかりとした宗教的な教義に根ざしたものだと……そう考えると、投げ出してでも仕事から逃れようとした彼女をとても責められないのではないでしょうか。


ご両親が特定の宗教の信者で、二世として育った友人が、僕にも今まで何人かいました。

その場合人格の形成には、上にも書いた宗教的な教義、高い倫理観が大きく影響を与えていることがほとんどです。

良い悪いは別にして、多く彼ら彼女らは独特な考え方や生き方を持っていますし、そんな彼ら彼女らの考え方、生き方、もっと言えば信仰は誰にも批難できません。

世の中には今回の件で「洗脳だ!」「騙されてるんだ!」と大声で騒ぎ立てる人が沢山いますが、そういうデリカシーの無い真似はやめましょう。

現代日本人は未だに宗教アレルギーが酷すぎます。

また、業界のルールなんて下らないことを言い出す輩は人一人の命を何だと思ってるんでしょうか。

彼奴らの様な連中には人殺し!と石を投げつけてやればいいのです。

何にせよ7年間も死にたいと思い続けた一人の人間が、宗教によって命を救われたことは何より良かったと思います。

鰯の頭も信心から、生きてるだけで丸儲け、です。


清水富美加さんは芸能界を事実上引退されたようですが、この本を読んでいると「もっとこういう作品に出たい!」「こんなバラエティ番組も面白いんじゃないかな?」と、今後は幸福の科学の中で芸能に携わって行きたいという強い思いが書かれています。

生憎幸福の科学が製作した映画を僕は観たことが無いですが、彼女の元気な姿をスクリーンでまた観る機会があるなら、少し楽しみです。


最後に。

この本は、エッセイとしてはあまり質が良くありません(笑)。

時系列は必然性もなくアッチコッチ飛び回りますし、インタビューからの書き起こしを恐らく複数人で行ったためか、章ごとの口調に違和感が出ています。

詩集か!?と思うほど字詰めも余白が多く、そんなに集中したわけでも無いのに2時間で読み終わりました(笑)。

しかし、芸能、宗教、救済、さらに清水富美加=千眼美子さんの生き方や感じ方から、人生みたいなものを考えてみるのもいいのではないでしょうか。



ところで奥さん、虫を食べる話しの意味わかった?(笑)